Aug 29

日本のバブルよ、もう一度
その1
なつかしいバブル
世界的に、欧州債務問題の影響で、景気が悪いせいか、最近よく、“日本のバブルの頃はよかった”という話を聞く。古き良き時代を哀愁をこめて語る年齢に、足を踏み入れようとしている人たちが多くなったせいかもしれない。バブルを知らない若者たちは、不景気の日本しか知らずに育ったことになる。あの時代をもう一度と切望する人が多くなった感がある。日本のバブルがはじけて20年以上、日本の景気後退の中で、若い世代は生まれ、育ち、バブルとは何ぞやと、知るよしもない。それを知らない若者たちは、ある意味でかわいそうなのか。年々、就職はきびしくなり、将来の年金もあてにならなくなった。今や、日本の若者の夢はどこでもいいから、正社員になることだという。
日本はまだ、正社員にさえなれば、雇用法のおかげで、簡単に首を切られない。カナダのように、雇用安定度ゼロ。いつ首を切られるか、びくびくしているということはまだ、日本にはないらしい。
バブル期、日本のバブルのおかげでお金が世界にばらまかれて、海外の日本人もその恩恵を受けて潤った。
歌手の千昌夫がハワイのホテルを買いまくった話は有名だ。「歌う不動産王、ホテル王」とはやされ、世界各地にホテルやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルも持っていたといわれ、バブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、負債総額、1,034億円。2000年、千昌夫の「アベインターナショナル」は経営破綻した。
ハワイでも、高級リゾートホテルと並び、開発のシンボルとされたのがゴルフ場で、日本人によるゴルフ場建設ラッシュとなった
ハワイ島の溶岩ばかりのところに、西武の堤氏がゴルフ場、ホテルを大開発し、何百億円もつぎ込んで、夢のようにすばらしいリゾートを建設したが、バブルがはじけた時、激安で米のホテルに売り払った。
1989年、三菱地所が2000億円で購入したニューヨークのロックフェラー・センターは当時の日本企業による国外不動産、買い漁りの象徴となった。
バブル崩壊後、日本企業はこれらの不動産のほとんどを、借金返済のために半値以下で手放した。
ソニーによるコロムビア映画買収をはじめ、潤沢な資金を得た企業が海外不動産、海外リゾートへの投資、海外企業の買収を行なった。土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人も、海外の不動産投資に邁進した。
そして、“ザ セイホ”の名で知られる、日本の生命保険会社各社が世界中の大都市のビル、不動産を買いまくって、脅威の存在と言われた。
こうした世界情勢の中で、政治的に安定している上に空前の好景気で、投資先として非常に大きな魅力を持つことになった日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の呼び声とともに、日本人1人あたりの所得が米を超えるにいたるや、米国においてさえ、”日本に学べ”という声が出るほど好景気に沸き立った。
一方で、象徴的ビルや企業が日本企業の手に渡ったことにつき、“日本脅威論”が噴出し、“日本たたき”が起こったのもこの頃だ。
格安航空券の売り上げ増大に合わせ、海外旅行者が増加したのもこの時期からである。1986年には550万人程度だった海外旅行者が、4年後の1990年には1000万人を突破した。日本からの団体旅行がカナダにも押し寄せ、ツアー会社も日本レストラン、おみやげ屋さんも笑いがとまらないくらい儲かったと聞く。
日本から、海上自衛隊が数隻で船団を組み、演習でバンクーバーに寄った際、ドルの札束を船にいっぱい積み込んでいたともいう。
ゴルフ場の会員権の価格は高騰し、その頃、数千万円もするのもあった。日本の会社の重役たちは週末、バンクーバーにゴルフをしによく飛んできたという。
英国ロンドンの日系証券会社のクリスマスパーティーは5スターホテルで盛大にやり、社員に、エルメス、ロイヤルドールトン、ウェッジウッドなどの豪華なクリスマスプレゼントを大判振舞いした。
バブルまっさかりの頃、金融、土地、資産運用でぼろ儲けしたことを吹聴し、本業そっちのけで「財テク」に腐心する企業もいっぱいでた。
潤沢な資金による買いあさりの対象は、NTT株公開に伴う一般投資家による投資や、ポルシェなどの高級車、絵画や骨董品にまで及び、企業や富裕層のみならず、普通の人まで高級ブランドを買いあさる一大消費ブームが起きた。
バブルとは、その名のとおり泡のように実体のないものを意味する。バブル経済とは、実体経済から大幅に乖離して、異常に資産価格が高騰した状態である。不動産や株式の資産価格が、投機によって異常に上昇し、その上昇が魅力となって、更なる投機を呼ぶという循環が起こる。活発な投資、消費が行なわれ、実体経済も活性化する。しかしながら、バブル経済は、活性化したといっても中身がないので、本来長く続くものではなく、1986年12月から1991年2月までの51ヶ月間しか続かなかった。
その後、バブルがはじけて、証券会社、銀行、保険会社、企業がどんどんつぶれ、個人も破産し、日本中が不良債権で膨れ上がった。その不良債権減らしを、国は国民の犠牲のもとに処理した。日本の銀行に預けてもゼロ金利、国民もそれによく耐えたものだ。銀行に預けても利子をくれず、銀行の利益を預金者に還元しないで、不良債権減らしにやっきになったのだから。

日本のバブルよ、もう一度 その1 (2012年9月号)

なつかしいバブル

世界的に、欧州債務問題の影響で、景気が悪いせいか、最近よく、“日本のバブルの頃はよかった”という話を聞く。古き良き時代を哀愁をこめて語る年齢に、足を踏み入れようとしている人たちが多くなったせいかもしれない。バブルを知らない若者たちは、不景気の日本しか知らずに育ったことになる。あの時代をもう一度と切望する人が多くなった感がある。日本のバブルがはじけて20年以上、日本の景気後退の中で、若い世代は生まれ、育ち、バブルとは何ぞやと、知るよしもない。それを知らない若者たちは、ある意味でかわいそうなのか。年々、就職はきびしくなり、将来の年金もあてにならなくなった。今や、日本の若者の夢はどこでもいいから、正社員になることだという。

日本はまだ、正社員にさえなれば、雇用法のおかげで、簡単に首を切られない。カナダのように、雇用安定度ゼロ。いつ首を切られるか、びくびくしているということはまだ、日本にはないらしい。

バブル期、日本のバブルのおかげでお金が世界にばらまかれて、海外の日本人もその恩恵を受けて潤った。

歌手の千昌夫がハワイのホテルを買いまくった話は有名だ。「歌う不動産王、ホテル王」とはやされ、世界各地にホテルやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルも持っていたといわれ、バブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、負債総額、1,034億円。2000年、千昌夫の「アベインターナショナル」は経営破綻した。

ハワイでも、高級リゾートホテルと並び、開発のシンボルとされたのがゴルフ場で、日本人によるゴルフ場建設ラッシュとなった

ハワイ島の溶岩ばかりのところに、西武の堤氏がゴルフ場、ホテルを大開発し、何百億円もつぎ込んで、夢のようにすばらしいリゾートを建設したが、バブルがはじけた時、激安で米のホテルに売り払った。

1989年、三菱地所が2000億円で購入したニューヨークのロックフェラー・センターは当時の日本企業による国外不動産、買い漁りの象徴となった。

バブル崩壊後、日本企業はこれらの不動産のほとんどを、借金返済のために半値以下で手放した。

ソニーによるコロムビア映画買収をはじめ、潤沢な資金を得た企業が海外不動産、海外リゾートへの投資、海外企業の買収を行なった。土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人も、海外の不動産投資に邁進した。

そして、“ザ セイホ”の名で知られる、日本の生命保険会社各社が世界中の大都市のビル、不動産を買いまくって、脅威の存在と言われた。

こうした世界情勢の中で、政治的に安定している上に空前の好景気で、投資先として非常に大きな魅力を持つことになった日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の呼び声とともに、日本人1人あたりの所得が米を超えるにいたるや、米国においてさえ、”日本に学べ”という声が出るほど好景気に沸き立った。

一方で、象徴的ビルや企業が日本企業の手に渡ったことにつき、“日本脅威論”が噴出し、“日本たたき”が起こったのもこの頃だ。

格安航空券の売り上げ増大に合わせ、海外旅行者が増加したのもこの時期からである。1986年には550万人程度だった海外旅行者が、4年後の1990年には1000万人を突破した。日本からの団体旅行がカナダにも押し寄せ、ツアー会社も日本レストラン、おみやげ屋さんも笑いがとまらないくらい儲かったと聞く。

日本から、海上自衛隊が数隻で船団を組み、演習でバンクーバーに寄った際、ドルの札束を船にいっぱい積み込んでいたともいう。

ゴルフ場の会員権の価格は高騰し、その頃、数千万円もするのもあった。日本の会社の重役たちは週末、バンクーバーにゴルフをしによく飛んできたという。

英国ロンドンの日系証券会社のクリスマスパーティーは5スターホテルで盛大にやり、社員に、エルメス、ロイヤルドールトン、ウェッジウッドなどの豪華なクリスマスプレゼントを大判振舞いした。

バブルまっさかりの頃、金融、土地、資産運用でぼろ儲けしたことを吹聴し、本業そっちのけで「財テク」に腐心する企業もいっぱいでた。

潤沢な資金による買いあさりの対象は、NTT株公開に伴う一般投資家による投資や、ポルシェなどの高級車、絵画や骨董品にまで及び、企業や富裕層のみならず、普通の人まで高級ブランドを買いあさる一大消費ブームが起きた。

バブルとは、その名のとおり泡のように実体のないものを意味する。バブル経済とは、実体経済から大幅に乖離して、異常に資産価格が高騰した状態である。不動産や株式の資産価格が、投機によって異常に上昇し、その上昇が魅力となって、更なる投機を呼ぶという循環が起こる。活発な投資、消費が行なわれ、実体経済も活性化する。しかしながら、バブル経済は、活性化したといっても中身がないので、本来長く続くものではなく、1986年12月から1991年2月までの51ヶ月間しか続かなかった。

その後、バブルがはじけて、証券会社、銀行、保険会社、企業がどんどんつぶれ、個人も破産し、日本中が不良債権で膨れ上がった。その不良債権減らしを、国は国民の犠牲のもとに処理した。日本の銀行に預けてもゼロ金利、国民もそれによく耐えたものだ。銀行に預けても利子をくれず、銀行の利益を預金者に還元しないで、不良債権減らしにやっきになったのだから。

fraser_Sep2012

Aug 29

第3話 資源大国になるか、日本? (2012年7月号)

メタンハイドレートと海底熱水鉱床

その2 海底熱水鉱床

海底熱水鉱床海底にある熱水鉱床である。海底を割ってマグマが噴き出すスポット”熱水鉱床”はマグマに含まれる金属の硫化物が海水で急冷されて固まった成分が積もるため、貴重金属の宝庫とされる。熱水鉱床は火山活動がみられる海底山脈や火山性列島の周辺海域に主に存在し、日本近海はこの条件にぴったりだ。メタンハイドレートとともに、熱水鉱床も地震が起きる所に多くある。

海底熱水鉱床には、鉛、亜鉛などのベースメタル、金、銀などの貴金属ゲルマニウムガリウムセレンカドミウムなどのレアメタルが含まれている。そのため、今日、海底熱水鉱床が熱い注目を浴びている。日本近海に眠るメタンハイドレードと併せると、日本は一気に資源大国、資源輸出国になることも夢ではあるまい。

日本は地震大国で、それは太平洋プレートがユーラシアプレートの下に沈みこむ際にプレート同士がぶつかりあう巨大な力によって発生する。火山の噴火も太平洋プレートの沈降に伴い、マグマが絞り出されることによって引き起こされる。海底でも火山は活発に活動している。海底火山からは断層などから浸透した海水がマグマによって熱せられ、海底の割れ目から噴出する。これが熱水である。そして噴出口の周辺には、熱水に含まれる金属成分が沈殿し堆積する。堆積物はチムニーと呼ばれる煙突状の塊になることもある。そのチムニーが成長し、崩れ、その隙間を堆積物が埋めていく。こうやって長い時間をかけて形成されたのが海底熱水鉱床である。

政府は2007年より「海洋基本計画」を推進、海底熱水鉱床およびメタンハイドレートなどを開発し、10年内を目処事業家することを目指し調査を進めている。2010年伊豆沖縄付近の数箇所で有力な海底熱水鉱床が確認されている。

他国でも海底熱水鉱床からの資源回収事業化された前例がなく、技術的課題含めて検討すべき事項多々あるが、資源乏し日本自国排他的経済水域安定的資源回収できる可能性がある事業として期待されている。

海底熱水鉱床に限らず、メタンハイドレートや石油・天然ガスなど海洋資源開発は海洋国家である我が国の生命線であり、それこそ50兆円を超えるような金属埋蔵量があるのならば将来的に日本が資源輸出国に転じることも夢ではあるまい。排他的経済水域、世界第6位の広さをもつ日本は、海洋資源開発に国として優先的に取り組むべきであり、このアドバンテージを利用しない手はないだろう。

特にレアメタルは、私たちの生活を豊かにする通信、自動車、医療、太陽電池などの最先端技術に欠かせない元素である。レアアースは鉄などと混合すれば磁力や耐熱性を強めることができ、ハイブリッド車やハイテク製品の生産に不可欠で、今後も需要は一層高まると見られている。レアメタルを含めた金属資源の消費は、日本だけでなく、中国などの目覚ましい発展をしている国に集中している。それで、中国は自国で生産されるレアメタル資源の輸出を停止した。

沖縄近海で行われた、採掘調査で、海底下で半径10Kmの大きな熱水の滞留が発見された。その熱水の表面には金・銀・レアメタルを多く含む黒鉱鉱床が存在している可能性が高いということだった。このあたりは尖閣諸島とは異なり、我が国の排他的経済水域内なので、仮に採掘が可能になれば資源問題はかなり解決することになる。

また、日本の最東端に位置する南鳥島が資源大国への夢に希望を与えている。東京から約2千km離れた南鳥島は太平洋に浮かぶ火山島で、南鳥島近海の鉱床でハイテク産業に欠かせないレアアースやマンガン、コバルト、ニッケル、プラチナ、ネオジウムといった鉱物の埋蔵が確認された。鉱床の調査と開発計画が順調にいけば、日本が中国へのレアアース依存から脱却する日も近いかもしれない。

fraser_Jul2012